オーストラリア専業プロ MATSUJACKがこれまでのポーカー人生を振り返る
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オーストラリア専業プロ MATSUJACKがこれまでのポーカー人生を振り返る

ポーカープロインタビュー連載第5弾、今回はオーストラリアで専業プロとして活躍されてきたMATSUJACKさんにこれまでのポーカー人生を振り返ってもらいました! 国立大学を卒業後オーストラリアで専業プロとして活躍。YouTube配信者としても活動を行なっている。 高校生の時にポーカーに出会う 高校生の時、ある日友達が学校にトランプとチップのセットを持ってきて、テキサスホールデムというゲームがあるんだということを教えてくれました。よく学校の食堂でお昼ご飯を賭けて勝負したりしていましたね。 大学生の頃もポーカーを続けていて、仲間で友達の家に集まって夜通しで遊んだりしていました。 オーストラリアのメルボルンで専業プロに 就職活動に悩んでいた時に、ポーカーを教えてくれた友達がたまたまオーストラリアのメルボルンに留学をしていて、僕も留学してみることにしました。 当時はポーカーで生きていこうとは考えていなくて、オーストラリアで生活できるようになるというのが当面の目標だったのですが、ある日カジノに行った時に高校の頃に覚えたポーカーがあることに気づいたんですね。 このゲームであれば他のカジノゲームと違って勝てるのではないかと思いポーカーをプレイするようになりました。 ただ、やっぱり最初はめちゃくちゃ負けました。 メルボルンのクラウンカジノでは、常に$1/$2、$1/$3、$2/$5の卓が立っているのですが、$1/$2で3,000ドルぐらい負けてしまいました。このままだとずっと負けてしまうと危機感を感じて、当時すでにポーカープロとして活動していた友達に自分がプレイしたハンドを全てメモして送ってレビューをもらったり、書籍などで勉強をしました。その甲斐あって1、2ヶ月した頃にはある程度勝てるようになりました。 しかし、勉強を始めたばかりの頃はポーカーだけでの生活は厳しかったので、レストランでアルバイトをしながら毎日ポーカーを打っていましたね。 ポーカーのステークスを徐々に上げていき$2/$5を打つようになった頃にようやくアルバイトよりも時給が出るようになったので、そこからはポーカーだけで生活するようになりました。 –オーストラリアで印象的なエピソードはありますか? ワーキングホリデービザで滞在していたので、セカンドビザを取るために、メルボルンから車で10時間かかるような田舎の街に3ヶ月間働きに行ったんですね。そこは大陸の真ん中で気温も43度くらいになるんですけど、そこでイチジクの農業をやったり、工場で働いたりしました。 そこでは週に何回かポーカーのトーナメントが開かれていて、作業着を着たままの人やおじいちゃんおばあちゃんのような街の人が40、50人くらいくるんですね。アットホームな感じでトーナメントなのにディーラーも交代でするんですよ。ポーカーをきっかけに地元の人とどんどん仲良くなれたのがとても印象的な思い出です。 コロナでカジノが閉鎖 2020年の3月ごろ、中国でパンデミックが始まった時は、完全に専業でポーカーを打っていたのですが、ある日ポーカールームの半分が仕切りされていて、「向こう半分はもう今日から使えないよ」と言われたんです。 そして次の日にはスロットマシーンが一つ飛びでしか使えなくなっていて驚きましたね。 同じテーブルにいたおじちゃんは「カジノは閉まらないよ。このカジノは政府より力持ってるからな」ガハハと笑ってたんですけど、次の日に行ったらポーカールームがさらに半分になっていて、9人テーブルだったのが5人が上限になっていたんです。 その後入場制限などでカジノがどんどん縮小していく中、ポーカーを打ち続けていたんですけど、ついに明日からカジノが閉まるとなった時に、普段ハイレートを打っている人たちがキャッシャーに来て何十万ドルと引き出して帰っていったのを見て、本当にやばいんだろうなと思い日本への帰国を決めました。 すでにJALやANAのような日本の便は飛んでいなかったので、インドネシア乗り換えでなんとか日本に帰りました。今思うとそれが帰れるギリギリの時期でしたね。 帰国後はオンラインを主戦場に 帰国後は500ドル分だけ友人にもらってPokerStarsを始めることにしました。そこから一気にオンラインポーカーにハマって行きましたね。 ステークスは最初は25NLZoomから始めました。ポーカーはカジノで何年もやっていたので自信はあったのですが、やっぱり最初はコテンパンにされましたね。オンラインとライブは全然違うなと実感しました。…

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